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東京高等裁判所 昭和34年(う)395号 判決 1961年8月09日

控訴人 被告人 山田長司 外三名

弁護人 坂本泰良 外七名

検察官 長富久粂 進沢井勉

主文

原判決を破棄する。

被告人山田長司、同早川嘉一郎及び同阿由葉茂彦を各罰金一〇、〇〇〇円に、被告人島田要三を罰金八、〇〇〇円に処する。

右各罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

原審における訴訟費用中証人飯塚宇一(第六回乃至第一二回各公判期日出頭の分)、同飯塚幸子(第一二回及び第一四回各公判期日出頭の分)、同根岸和賀子(第一四回公判期日出頭の分)、同刀川秀男(第二四回公判期日出頭の分)、同恩田梅治郎(第三四回公判期日出頭の分)、同島田幸三郎、同根岸保寿、同長谷川きち、同小堀ヒデ子、同岡田マキ子、同為貝多十郎、同岩井田軍次郎、同渡辺照子、同竹内好美、同三浦茂、同伊藤義三、同加藤丑蔵、同高野忠一及び同木野内宗平に支給した分並びに当審における訴訟費用は、被告人らの連帯負担とする。

本件公訴事実中監禁の点については、被告人らは、いずれも無罪。

理由

本件各控訴の趣意は、末尾に添付した被告人ら共同作成名義の控訴趣意書と題する書面三通に記載してあるとおりであるから、これについて、左のとおり判断する。

(一)  公訴の不法受理又は訴訟手続の法令違反並びに審判の対象及び法令の適用に関する過誤の論旨について

本件起訴状の公訴事実の記載によれば、その二つの訴因である監禁と暴力行為等処罰ニ関スル法律違反とについて、どの部分が右のいずれの訴因に当るものであるかが明確を欠くものがあつたけれども、記録に顕われた原審における審理の経過に徴すれば、その後公判廷における検察官の釈明により、右二つの訴因が特定され、かつ、この両者は、併合罪の関係において起訴されたものであることが明らかにされたものということができるから、起訴状の記載だけでは訴因の特定が充分ではなかつたからといつて、公訴提起の手続が無効であるというわけにはいかず、従つて、原裁判所が公訴を棄却することなく、実体の審理及び判決をしたことについては、所論のように不法に公訴を受理したもの又は判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続上の法令の違反があるものとするわけにはいかない。それゆえ、これらの点に関する論旨は、理由がないものといわなければならない。なお、原判決が右の監禁と暴力行為等処罰ニ関スル法律違反とをともに認定しながら、法令の適用にあたつて、これを一個の行為で二個の罪名に触れるものとして処断したことは、理論的に首肯し得ないものがあるけれども、当裁判所は、後に説示するとおり、右公訴事実中監禁の点については、犯罪の証明がないものとし、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があることを理由に原判決を破棄し、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の事実だけを認定して有罪の判決をするのであるから、原判決の右のような措置が所論のように審判の請求を受けた事件について判決をせず、審判の請求を受けない事件について判決をし、かつ、法令の適用を誤つたものであるとする論旨に対しては、判断する必要はない。

(二)  正当行為、正当防衛、緊急避難及び期待可能性不存在の論旨について

労働者の団結権及び団体行動権が基本的人権として憲法上保障されていることは、所論のとおりである。しかしながら、基本的人権といえども、これを濫用することは許されず、公共の福祉に反する場合には法律をもつて制限することができることは、憲法第一二条後段及び第一三条の規定に徴して明らかなところであつて、無制限な保障を与えられているものではない。労働者の団体行動が多数の団結による威力を伴うことは当然であるが、その威力は、秩序ある行動によつて示すべきものであつて、無秩序な暴力が許さるべきはずはない。すなわち、多衆の威力を示して他人に暴行あるいは脅迫を加えるがごときは労働組合の正当な行為といえないことは、労働組合法第一条第二項の規定に徴するも明らかなところであつて、これが暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項により処罰さるべき場合のあることは、いうまでもない。そして、原審における審理の結果及び当審における事実の取調の結果を検討するときは、当時関東自動車株式会社佐野営業所においては、関東自動車株式会社佐野営業所労働組合(第一組合)と関東自動車株式会社労働組合佐野支部(第二組合佐野支部)とがあつて相対立し、右第一組合の組合員中から右第二組合佐野支部に移る者が次第にその数を増したので、第一組合側では、これを防止して組合員の結束を図るため日夜苦慮していたものであつて、被告人早川嘉一郎及び同島田要三は、それぞれ右第一組合の組合長及び副組合長であり、その他の被告人らは、同組合の支援者であつて、飯塚宇一が右第二組合佐野支部の支部長であつたことは、認められるけれども、被告人らの飯塚宇一に対する本件所為については、飯塚が右第一組合又はその組合員に対しいわゆる切崩等による急迫不正の侵害をしたため、この侵害に対し右労働組合の組合員の団結権又はその他の権利を擁護するため、やむを得ずになした行為であるとか、あるいは、右組合や組合員が受けていた現在の危難を避けるためやむを得ずになした行為であるとか、はたまた、通常人であれば、何人が被告人らの立場にあつても、他の適法行為を期待し得ない状況にあつたとかいうがごとき事情にいたつては、到底、これを認むべき跡はない。従つて、被告人らの所為が所論のように正当行為、正当防衛又は緊急避難として、あるいは、いわゆる期待可能性がないものとして、違法性あるいは責任性を阻却するものということはできない。それゆえ、これらの点に関する論旨も、理由がないものといわなければならない。

(三)  事実誤認の論旨について

原審における審理の結果及び当審における事実の取調の結果を検討すれば、後記のように、被告人らが飯塚宇一に対し多衆の威力を示して暴行及び脅迫をしたことは、これを認めるに充分であつて、原審における証人飯塚宇一及び同飯塚幸子の右認定に副う各供述が所論のように措信し得ないものとはみられず、また、被告人らその他の関係者の検察官や司法警察員に対する供述調書に顕われた供述中同人らの公判廷における供述と異る部分が、所論のように捜査官の強制、誘導等による任意性や信憑性を欠くものと解すべきいわれはなく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。この点に関する所論は、証拠の判断その他に関する独自の見解に基くものであつて、容認することはできない。しかし、原判決援用の証拠をその他の原審における審理の結果及び当審における事実の取調の結果と照らし合わせて検討するときは、本件当時飯塚宇一が被告人らやその他の者に取り囲まれて脱出不能の状態にあつたとは、認め難いので、被告人らが当時原判示のように他の組合員や支援団体員らと共謀して飯塚宇一を取り囲んでその自由を拘束し、同人の脱出を不能ならしめてこれを不法に監禁した旨認定した原判決は、この点において事実の誤認をおかしたものといわなければならない。そして、この誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかなものということができる。従つて、この点において、論旨は、理由があつて、原判決は、破棄を免れない。

そこで、刑事訴訟法第三九七条第一項により、原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により、当審において更に左のとおり判決をする。

(罪となるべき事実)

被告人山田長司は、栃木県第二区から選出された衆議院議員で、昭和三〇年二月施行の衆議院議員選挙の際も同選挙区から立候補して当選した者であつて、日本社会党に属する者、被告人早川嘉一郎は、昭和二五年一月頃から宇都宮市に本社を有する関東自動車株式会社の佐野営業所に同営業部所属自動車運転手として勤務し、昭和二九年一二月中旬同営業所の従業員によつて結成された関東自動車株式会社佐野営業所労働組合(以下単に第一組合という)の組合長であつた者、被告人島田要三は、昭和二二年九月頃から同会社同営業所に同営業所所属自動車運転手として勤務し、右第一組合の副組合長であつた者、被告人阿由葉茂彦は、昭和三〇年一月頃共栄商事株式会社なる電気器具の販売を目的とする会社を設立してその社長となり、その業務をつかさどるかたわら、日本社会党佐野支部副支部長をしていた者である。ところで、右関東自動車株式会社においては、右佐野営業所に第一組合が結成された後、他の営業所の従業員によつて、昭和三〇年一月佐野営業所における右第一組合の組合員を除く同会社の全従業員を対象として関東自動車株式会社労働組合(以下単に第二組合という)が結成され、次いで、同年二月二五日右佐野営業所においても関東自動車株式会社労働組合佐野支部(以下単に第二組合佐野支部という)が結成され、同営業所足利出張所に勤務する事務員飯塚宇一がその支部長となつた。かくして、右佐野営業所においては、二つの労働組合が相対立するに至つたが、第一組合の組合員の中で同組合から脱退して第二組合佐野支部に移る者が次第にその数を増して行つたので、第一組合側では、その対策の一つとして、組合員の家族の結束を図るため、同年三月二九日夜足利市伊勢町所在赤坂そば屋において足利市在住の組合員家族の懇談会を開いたが、その懇談会には、被告人らも出席し、第一組合の組合員や家族のほか、栃木県佐野地区労働組合協議会会長米山誠一郎ら外部支援団体員数名も出席した。これよりさき、同日夕刻頃、右佐野営業所に勤務する第一組合の組合員である女子車掌大出頼子が、同日の勤務を終つて右会社のバスで佐野市から居住地の足利市に帰り、同営業所足利出張所に立ち寄つたところ、同出張所に勤務していた第二組合佐野支部長である前記飯塚宇一が、あらかじめ右懇談会の開催されることを知つていて、同女に対し、「佐野から誰か乗つて来なかつたか、今日地区労や県労の奴らが来るわけだ、おれは地区労や県労の奴らが押しかけて来るのを待つているんだ。」と言つて、同女をからかつたので、同夜右懇談会に出席した同女が参会者にこのことを話したころ、これを直接又は間接に聞いた参会者の多くが、飯塚が真実第一組合の支援団体員らとの面会を希望して待つている旨述べたかのように誤解するに至り、かねがね第一組合側においては、第一組合の組合員が第二組合佐野支部に移るのは、主として第二組合佐野支部長飯塚宇一の切崩工作によるものとして、憤激していたおりであつたので、参会者らは、この機会を利用して飯塚を詰問攻撃し、第一組合に有利な確約をさせるため、大挙して同人方に赴くことに決し、右懇談会の終了後、これに出席していた被告人早川嘉一郎、同島田要三をはじめ第一組合員約一〇名並びに被告人山田長司、同阿由葉茂彦及び前記栃木県佐野地区労働組合協議会会長米山誠一郎その他の外部支援団員数名は、同日午後一一時過頃右飯塚宇一の居住する足利市南町三、七一三番地関東自動車株式会社佐野営業所足利出張所に到り、就寝中の飯塚宇一に面会を求めた。そこで、飯塚宇一は、夜遅くの訪問者に不審の念を抱きながら、同出張所の階下事務室に現われ、右の者らとの面会に応じたところ、右参集者らは、主として被告人早川嘉一郎において飯塚に第一組合に対する切崩工作を止めるように要求するとともに、同被告人をはじめ他の参集者中数名も、第二組合側の行動を非難する発言をし、同組合佐野支部長としての飯塚の責任を鋭く追求した。これに対し、飯塚は、右切崩工作なるものは無根のことであるとしてこれを否定するとともに、参集者らの非礼を怒つてその退去を求め、階上の自己の居室へ引き上げようとした。ここにおいて、被告人ら及びその他の参集者らは、この際飯塚から第一組合に有利な確約を得るには、同人を屋外に連れ出して同様の追求を続けるほかはないと考え、同人の態度如何によつては同人に対し多衆の威力を示して暴行又は脅迫をするような事態となるべきことも認識しながら、これにより所期の目的を達成しようとの意思を相互に相通じ、直ちに飯塚を取り囲んで同人を屋外に連れ出し、右出張所から東方へ約三〇メートル離れた同市南町三、七一一番地喜久住旅館前道路上に来た際、飯塚の強硬な態度に憤激した同人を取り囲んだ右参集者の一人が飯塚の腰部を背後から突き、同人が転倒するや、参集者の他の一人が、飯塚の左足を蹴つた上、靴でこれを踏み付け、同人が起き上がつた後も、約二〇分間にわたつて同人に対し前同様の追求を繰り返した後、飯塚を促して、ともにそこから東北方へ約二四〇メートル離れた渡良瀬川南側堤防上に赴き、ここでも飯塚を囲んで約一時間三〇分の間同人に同様の追求を繰り返すとともに第一組合から第二組合佐野支部へ移つた者の加入者名簿の引渡を求めたが、その間において、飯塚がこれに応ずる気配がないのを見るや、同人を取り囲んでいた右参集者の一人は、飯塚の腰部附近を革靴をはいた足で蹴り、被告人阿由葉茂彦は、飯塚の左腕を捻じ上け、更に、「こんなずるい奴は川に押し飛ばして冷やしてやれ。」と言つて同人を脅迫し、その後、小雨が降つて来たことと堤防上の喧騒に驚いて出て来た附近に居住する島田幸三郎に誘われたのを機に、翌三〇日午前一時三〇分頃被告人らを含む参集者合計一〇余名は、飯塚とともに附近の東南方堤防下の右島田幸三郎方に赴き、同人方屋内において、約一時間にわたつて飯塚に前同様の要求をしたほか、第一組合及び第二組合佐野支部の合同大会を開くことを要求したが、飯塚が確答をしなかつたので、同日午前二時三〇分頃また飯塚とともに前記堤防上に戻り、更に約三〇分間同人を取り囲んで同様の要求を繰り返したが、その際、同人が依然確答をしないことを憤慨した被告人阿由葉茂彦が、「こんなずるい奴はどうしても川の中に入れなければならない。」と言つて飯塚を脅迫するとともに、同人の両腕を後から捻じ上げ、もつて、被告人らは、右飯塚宇一に対し、多衆の威力を示して暴行及び脅迫をしたものである。

<証拠説明省略>

(併合罪となる前科の罪)

被告人早川嘉一郎は、昭和三二年五月一六日足利簡易裁判所において道路交通取締法違反罪で略式命令により科料五〇〇円に処せられ、この裁判は、同年六月一日確定し、また、被告人阿由葉茂彦は、昭和三四年一一月二八日宇都宮地方裁判所足利支部において公文書毀棄、傷害、有価証券偽造、同行使、詐欺の罪で懲役一年二月、四年間執行猶予の判決を言い渡され、この裁判は、同年一二月一三日確定したものであつて、右各事実は、それぞれ検察事務官作成の被告人早川嘉一郎に対する昭和三三年一二月一五日付前科調書及び被告人阿由葉茂彦に対する昭和三六年一月三一日付前科調書の各記載によつて、これを認める。

(法令の適用)

被告人らの所為は、いずれも暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第二号に該当するが、被告人早川嘉一郎及び同阿由葉茂彦については、それぞれ前示のような前科の罪があつて、これと本件の罪とは、刑法第四五条後段の併合罪であるから、同法第五〇条により、未だ裁判を経ない本件の罪について更に処断することとし、被告人らについて、いずれも所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人山田長司、同早川嘉一郎及び同阿由葉茂彦を各罰金一〇、〇〇〇円に、被告人島田要三を罰金八、〇〇〇円に処し、右各罰金を完納することができないときは、同法第一八条第一項により、金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置し、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条により、主文第四項掲記のとおりこれを被告人らに連帯して負担させることとする。

本件公訴事実中、被告人らが他の前記第一組合の組合員や外部支援団体員と共謀の上、昭和三〇年三月二九日午後一一時過頃飯塚宇一を前記関東自動車株式会社佐野営業所足利出張所から強いて連れ出し、それ以来、順次前記喜久住旅館前道路上、渡良瀬川南側堤防上、島田幸三郎方屋内を経て、再度右堤防上に戻り、翌三〇日午前三時頃に至るまでの間、飯塚を取り囲んでその自由を拘束し、同人の脱出を不能ならしめてこれを不法に監禁したとの点については、さきに判断したとおり犯罪の証明がないから、刑事訴訟法第四〇四条、第三三六条後段により、被告人らに対し、いずれも無罪の言渡をすべきものである。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 尾後貫荘太郎 判事 堀真道 判事 堀義次)

被告人山田長司外三名の控訴趣意

【その一】

第一点原判決は被告人早川嘉一郎同島田要三等が結成した労働組合(第一組合)に対し「……右第一組合は所謂チヤージ問題(前記佐野営業所所属の一部のバス運転手及び車掌が乗客の乗車賃をごまかし着服した問題を指す)につきとつた会社側の一部従業員馘首処分に対するその撤回並びに待遇改善を主たる目的として結成されたものであるところ……」と判示し会社側と同じ様な偏見に立つて、第一組合を評価したから本件を判断する前提に於いて救い難い誤ちをおかして居る。即ち本件の関東自動車株式会社は元栃木県知事小平重吉(肥料商より身を起し県会議員を数期つとめ戦後知事に二回当選自由民主党栃木県支部顧問)を事実上の支配者と仰いで県下の重要バス路線の大半を独占し、交通業界に支配的勢力を持つて居る栃木県に於ける大会社であることは原裁判所にも顕著な事実である。然もこの会社は従来より社内に於ける封建的ボス的支配が強力であつて労働者が憲法上労働法上保障される正当な労働組合の結成すら出来ない状態であつた。つまり労働組合を作らせないと云うことが秘かな社の方針であつた如く労働者が自然発生的に労働組合を結成しても会社の圧力でまたたく間につぶされてしまい、指導者と目される者は馘になつてしまうのが例であつた。この様な状態だから労働者の労働条件は大会社にも拘はらず大変劣悪であり、県下五万の労働者の組織体である栃木県労働組合会議(略して県労)も幾度か所謂オルグを派遣してその組織化を図つたが何時の間にか会社側に察知されて不成功に終つて来たのである。従つて会社に特別な紐でもついて居る者でない限り労働者は誰でも労働組合を作り度いと云う強い念願を持つて居つたのである。この機運の中にあつて被告人早川等も長い間正当な労働組合を結成することを念願し計画して居つた一人である。その長い計画の中から第一組合が結成されたのである。ところが右の如く常に正当な労働組合の結成を阻んで来た会社側は、既定方針に従つて被告人早川等の結成した組合をつぶそうとして悪質なデマを飛ばしたり幹部を誹謗したりあらゆる卑劣な手段を採つたがその一つが所謂原判決判示の「チヤージ問題」である。つまり会社側は被告人早川等は乗車賃をごまかす様な悪いことをした者を擁護する為めに組合を結成したかの如き逆宣伝をして、組合の切り崩しやその発展を阻止する材料にしたのである。この様なことは原審証人飯塚宇一の証言によつて察知するに難くないし本件記録を通じて推定出来るのである。然るに原判決はニユアンスは若干違うにせよ何かしら会社側と同じ様な観点に立つて、被告人早川等の組合結成は不純な動機から出発して居るかの如き冒頭援用の様な判断をして居るのは事実誤認も甚だしいものと云わねばならない。斯くの如く原判決は第一組合の結成の経緯について偏見を抱いてつまり、本件の前提について既に判断を誤つてしまつたのであるからその真相をつかみ得ず数数の事実誤認をして居るのである。従つて原判決は破毀されなければならない。

第二点原判決はその理由中に於いて「……右第一組合の結成経緯及びその後の行動につき批判的であつた前記会社の従業員が、同月下旬頃新たに関東自動車株式会社の第一組合員を除く全従業員を対象として、関東自動車株式会社労働組合(以下単に第二組合と略称する)を結成し……」と判示し恰も本件第二組合を第一組合と並列的に観て適法なる労働組合の如く判断して居る。之亦大変な事実誤認である。被告人早川等は第一点所論の如く労働者の長い間の宿願を成就して第一組合を結成したが、従来の苦い経験から組合を会社の不当な圧迫から守る為め直ちに県労地区労(佐野地区労働組合協議会)に加盟したのである。この被告人早川等の組合結成の成功に漸く自信を得た他地区の労働者は宇都宮営業所、石橋営業所と順次労働組合を結成した。そのまま推移すれば全労働者が組織される様な形勢になつたが矢張り駄目であつた。会社は全力を尽して弾圧と懐柔の手を伸ばし宇都宮も石橋も忽ちにしてつぶされてしまつた。然し被告人早川等の佐野営業所の労働組合だけは抵抗強く良く孤塁を守つた。それは被告人早川等が前記の如く結成と同時に賢明にも直ちに県労地区労の組織に加盟したからである、然し会社の策戦はあくまで巧妙であつた、関東自動車株式会社の全従業員を打つて一丸とする労働組合の結成と云う美名の下に、従来より存在した社長から従業員迄包含する共栄組合と称する親睦団体を解散する形式をとつて労働組合と云う看板に塗り替えさせたこれが原判決判示の第二組合である。従つて表面上は労働組合と云う名称の下に、その体裁だけはととのいて居るが実質上は全くの御用組合である。だから会社としては被告人早川等の結成した最も強硬な佐野に於ける第一組合をつぶす為めに、第二組合佐野支部の指導者選定には相当な苦心を払つたことが推定出来る。即ちその指導者として会社の眼鏡にかなつたのが飯塚宇一である。同人は原審に於ける証言で明らかな様に労政係りを勤めたと云う元警察官であり、警察官を辞めてから一時納豆製造などをして失敗し、ニコヨン生活迄したのを坪山庶務課長の推薦で採用されたと云うのである(坪山庶務課長の父坪山徳弥は会社の実力者小平重吉と親交のある人であることは顕著な事実である)この様な訳で飯塚宇一は会社に対しては忠誠を誓つて居る筈の者であり、従つて会社にとつては正にうつてつけの人物である。この会社の期待にそむかず同人は第一組合の切崩しに活動しだした。これと目星をつけると夜秘密裡に第一組合員の自宅を訪問して、第二組合に入らぬと馘になるぞと云う様な趣旨の脅し文句を述べて第二組合加入を強要したのである。この様な脅迫と誘惑とによつて忽ちにして十五名の第一組合員の引抜きに成功すると、八名の事務員を加えて直ちに第二組合佐野支部を結成したのである。然もその結成当日には応援と称して会社のバス二台に便乗して六十数名の者が乗り込んで来て居るのである。以上の様な事実は各被告人の供述証人飯塚宇一同小森正夫同米山誠一郎等の各証言其他一件記録を通じて明らかである。要するに第二組合と云うのは会社が蔭で糸を引いて正当な労働組合である第一組合を撲滅することを目的として生れたものであつて会社の労働組合に対する支配介入であり違法なものである。尤も証人飯塚宇一は第二組合のその様な性格も否定して居るが前記の如くその結成当日バス二台に便乗して、応援隊が来たと云う一事を以つても御用組合であることが明らかであると思う。何故なればバス二台も動かして僅か二十三名ばかりの組合支部結成にその三倍程の人員を応援にくり出すなどと云うことは、会社の援助なしには到底出来ることでないことは通常の常識を以つてすれば直ぐ判ることである。この様な違法性を持つた御用労働組合である第二組合を第一組合と対等な適法な労働組合と判断した原判決は、この点に於いても重大な事実誤認をして居るものであつて破毀せらるべきものと思料する。

第三点原判決は「……第二組合佐野支部長飯塚宇一の組合員切崩工作によるものとみなして、これに憤激しその対策として同年三月二九日夜(中略)赤坂そば屋において第一組合員の家族懇談会を開催したが、その際これに出席した被告人早川同島田をはじめとする第一組合員約十名(中略)は同日午後一一時過頃前記飯塚の居住する同市南町三七一三番地関東自動車株式会社佐野営業所足利出張所に到り……」と判示し恰も被告人等の赤坂そば屋に於ける会合は、飯塚宇一の行動に憤激して同人宅に押しかける準備行動の様に判断して居るが之亦大変な間違いである。即ち赤坂そば屋の会合は飯塚宇一によつて日毎に劇しくなつて行く第一組合の切崩に対する対策協議の為めに持たれた家族懇談会であつて、飯塚宇一宅を訪ねる等と云うことは頭初はプログラムに全然なかつたのである。このことは被告人等の供述証人米山誠一郎同林久興等の証言に依つて明白である。然るに会議半にして偶々大出頼子より「飯塚は県労地区労社会党の者に会い度い。いくらおそくとも待つて居る」と云う旨の発言があつた為めそれでは今晩行つて話合うと急に決つたのである。尤も証人飯塚宇一はその様なことは言わぬと否定して居るが証人大出頼子の証言及同人の検察官に対する供述調書に依つて見れば、飯塚宇一はその夜第一組合の家族懇談会のあることを承知して居つて、大出頼子に対して県労や地区労の者に会い度い趣旨のことを述べたことは明らかである。このことを大出頼子は卒直に会合の席で報告したのである。この報告は予想外であつたろうが急速な解決を切望して居つた被告人等としては、正に渡りに舟であつたのである。特に被告人山田長司は事態の悪化を憂慮して居つたのである。それは飯塚等の老獪な攻勢にあつて日毎に組合員を引抜かれて行つた第一組合は正にノイローゼ気味で毎夜おそく迄その対策を練つていた。従つて当時誰も寝不足で疲労しきつて居り何時運転中大事故を起さないとも限らない状況であつた。然も当時証人林久興の証言の如く、洞爺丸の生生しい大惨事のシヨツクが消えやらぬ時代でもあり山田被告人の心労は一通りではなかつたのである。早く解決しないと大変な運転事故が起りかねないと深く心配して居つた際であるだけに、おそくなつても待つて居ると云う飯塚宇一の言葉に容易に乗つてしまつたのである。斯くしておそい時間ではあるが訪ねることになつたのである。然も当時山田被告人を初め他の人人も飯塚宇一その人の人柄を知らなかつたから解決について少々甘い状勢分析をしたのである。即ち証人林久興は労働委員もやつた経験から飯塚と直接話合えば解決出来ると信じたと云うのであり(同人の証言)山田被告人としてはそれ以上の自信を持つたのである。即ち既に数回栃木県二区を選挙区として(飯塚宇一の居住地も二区内である)衆議院議員に当選して居るのである。相手飯塚宇一はどの様な強か者としてもバス会社の出張所の事務員にしか過ぎない誠意を以つて話合えば必ず解決出来ると確信するのも当然の話である。この自信を持つて訪問することになつたのである。この様に大出頼子の発言によつて偶発的に然も解決の善意を以つて、飯塚宇一宅を訪問することになつたのである。然るに原判決は前記の如く被告人等が飯塚宇一の行動に憤激して、計画的に同人宅を訪問したかの如く判断をして居り、その事実誤認も甚だしいものであつて破毀せらるべきものと思料する。

第四点原判決が罪となるべき事実として判断したものは左の如く大部分事実誤認も甚だしいものである。

(1) 「右共謀者の中須賀照子外二名は同所においてスクラムを阻んで飯塚の退席を阻止し、ついで被告人早川は矢庭に飯塚の右腕を被告人島田はその左腕を捉えその余の被告人等を含む同席者は、飯塚を取囲んで強いて同人を屋外路上に連れ出し……」と判示して居るが事実を誤るも甚だしい。即ち被告人等の供述証人米山誠一郎同林久興等の証言によつて明らかなことは、飯塚宇一宅の同居人根岸等の家族に迷惑をかけるから外で話そうということになり、飯塚も同意して自ら先頭に立つて出たのである。検証の結果でも明らかな様に被告人等と飯塚の会談した事務室に隣接する座敷には、根岸家の家族が三人も起きて居り且飯塚の妻も同席して居つたのである。若し原判決認定の様に暴力的に屋外に連れ出される様な険悪な空気であつたとすれば、之を目撃して居つた筈の飯塚の妻なり根岸家の人なりは事を重大視して、直ちに警察に手配するなり近所に連絡するなり適当な処置をとつた筈である。然るにその様な何等の処置がとられなかつたばかりでなく、飯塚が出て行つた後しばらく飯塚の妻と米山誠一郎とが世間話をして居つたと云うのである(証人米山誠一郎の証言)従つて原判決の認定は著しく事実に反するものである。

(2)  更に原判決は喜久住旅館前路上において飯塚宇一を取囲んだ一行の一人が、同人を背後より突き倒し被告人早川が同人を蹴つた上靴で踏みつける等の暴行を加えた旨判示して居るも、之亦事実を曲げて判断して居る。然も飯塚宇一の証言によつてすら明らかな様に附近の街燈スズラン燈はついて居り、喜久住旅館は未だ起きて居り従つて電燈がついて居り近くに屋台店が出て居り通行人もあつたと云うのである。然も駅前の交番も近くにあるのである(検証調書)この様な状況の中で暴行などの出来るものではないし、又飯塚としても黙つて暴行等を許して居る筈はないのである。寧ろ飯塚の性格として聊かでも暴行を受けたとすれば針少棒大に騒ぎ散らし交番に駈け込む位のことは必ずやつたであろう。然も一行の中に山田被告人が加つて居つたのである。前記の如く場所は山田被告人の選挙区内である。常に選挙民に依つて極めて些細なことまで批判されねばならぬ代議士である。従つてこの意味では非常に弱い立場に在る山田代議士も居つたのであるるから、若し原判決認定の如く同行者の中に仮に暴力でも振つた者があつたとすれば、飯塚は必ずこの山田被告人の持つ代議士としての弱さに喰い下つて通行人に訴えるなりして騒ぎを大きくして反撃したに違いないのである。要するに喜久住旅館前などでは聊かでも暴力などを振い得る状況でなく、若し仮にふるつたとすれば大騒ぎになる状況下であつたのである。従つて原判決の如き暴力行為などは行われなかつたのであり事実誤認も甚だしいのである。

(3)  更に原判決は堤防上に於いての被告人等の暴力行為又は監禁の事実を認定して居るが、之亦何れも甚だしい事実誤認である。例えば原判決は「被告人山田はこんなずるい奴はいない、労働者の敵だなといいながら飯塚の胸倉を捉えて前後にゆさぶり或いは振り廻し」と判示して居るが事実無根のこととして山田被告人の強く否認して来たところであり、之が証拠としては只飯塚宇一の証言のみしかないのである。その飯塚の証言によれば山田被告人に胸倉をとられて一間位振り廻わされたと述べて居る。飯塚宇一は元警察官であり身のこなしからしても一見錬えた体であることが判るのである。然も体かくは身長に於いても普通人以上であるこの様な大の男飯塚宇一を一間も振り廻わす等と云うことは不可能なことである。従つてこの様な誇大な証言は信憑力を持たないことは吾人の実験則に徴して明らかである。果せる哉飯塚証人は自らの証言の信憑力のないことを明らかにする様な証言をして居る。即ち一間も振り廻わされながら履いて居つたサンダルはぬけなかつたと云うのである。サンダルなどと云う履物はすぐぬけるものである。一間も振り廻わされてもぬけずに足について居るサンダル等と云うものはこれこそ実験則上絶対にないと云つても過言でない。この様な信憑力のない証拠を唯一のものとして事実を認定したから原判決は救い難い事実誤認をして居るのである。

(4)  或は又原判決は飯塚を取囲んでいた中の一人が飯塚の背後から同人の腰部附近を足で蹴り、被告人阿由葉は飯塚の左腕を捻じあける等の暴行を加えた上更に「こんなずるい奴は川に押しとばして冷やしてやれ。一晩中かかつても話をつけてやる」等と脅迫した旨判示して居るが之亦事実を誤るも甚しいのである。右腰部附近を蹴つたと云う事実は、起訴状では早川被告人の所為となつて居つたが原判決では右の如く「飯塚を取囲んでいた中の一人」の所為と判示した如く極めて不明瞭にしてあいまいな事実である。又飯塚宇一は阿由葉被告人より原判決判示の如き暴行脅迫を受けた旨証言して居るが、同人の証言によつても飯塚はその夜阿由葉と初対面だと云うのである。うす暗い中で仮に暴行脅迫があつたとしてもそれが初対面の阿由葉の行為だと断定すること自体に非常な無理があり、之亦吾人の実験則に反する証言である。然も偶々附近に立ち聞きして居つたと云う堤防附近の居住者島田幸三郎は堤防上で被告人等が、飯塚宇一に対して暴行などをして居る様子は見受けなかつたと証言して居るのである。この証人の証言は極めて信憑度が高いと云わなければならない。何故ならば小雨が降つて来たのでわざわざ自分の家に招じ話合の部屋を提供することを申入れた人である。若しその場の空気が原判決認定の如き暴行脅迫が行われて居る様な険悪であつたならば、好んで災を背負い込む様な愚な申入は為さなかつたであらう、又わざわざ小雨が降つて来たと云つて見ず知らずの人々を夜中に自分の家に招じ込む程の親切な同人としては、若し原判決認定の如く大勢の者が一人の人間を囲んで暴行脅迫をして居る状態であつたとすれば、急を警察署なり交番なりに知らせたであろうと思われる。この様に原判決は実験則上信憑度の高い証言を無視して飯塚宇一のみの証言を採つて大変な事実誤認をして居るのである。

(5)  更に原判決は島田幸三郎宅に於ける会談も一連の監禁行為の一コマの如く認定して居るが、之亦事実誤認も甚だしい。即ち証人島田幸三郎の証言に依つて明らかな様に同人宅に於ける会談となつたのは小雨が降り出したので、同人の好意に甘えてのことであつて、寧ろ飯塚宇一も内心は喜んで行つたものとの推定が出来るのである。従つて決して原判決の如く「引き入れ)たと云う様な状況では断じてなかつたのである。山田被告人の供述で明らかな様に、島田幸三郎の好意で同人の部屋に入つたところ、次の間に赤ん坊が寝て居ることと夜がおそいことに特に皆の者にも注意して小声で話合つたと云うのである。この様な細心な心使いをして話合いをして居つた被告人等であるだけに、飯塚宇一を監禁するなどと云う意思は毛頭なかつたし又その様な状況でなかつたことは、島田幸三郎の証言に依つて明らかに推定出来るのである。之亦大変な事実誤認をして居ると云わねばならない。

以上の諸点を見ても原判決は飯塚宇一の証言の価値評価を誤り、甚だしい事実誤認をして居るものと云わねばならない。従つて破毀せられねばならない。

第五点被告人等の本件所為は労働組合運動として正当な行為を行つたに過ぎない。然るに原判決の如く之を犯罪視して居るのは原裁判所が真正に労働法の精神を理解せず、新憲法前の古い法律感覚を以つて判断したから第一点乃至第四点所論の如き事実誤認を重ねたのである。戦前戦時中の為政者の考え方は労働者が団結してストを行うと云うこと自体を違法行為として認識して居つたのである。嘗つて治安警察法第十七条は労働者のスト行為を犯罪視し、之を激励したりあおつたりした者を処罰した。この悪法は大正十四年廃止されたがストを犯罪視し違法視する考え方は仲々改らなかつた様である。現に新憲法になつて労働者の団結権団体行動権が基本的人権として保障される様になつてすら、古い感覚から抜けきらない人は今尚労働者の団体活動を目して不逞の輩と云つた考えを持つている。原判決で第二組合を第一組合と同様に労働組合法に基く組合であるかの如く判断して居るが、このことが古い法律観に立つている証拠である。この前提が誤つて居るから被告人等の組合活動の片言隻句をとらえて脅迫だと感ずるのである。抑々憲法が労働者の団体行動権を認めたのは、労資の均衝換言すれば労資対等の原則を確立せんとしたものである。資本家はぼう大な経済力と人事権とを手中に収めて居るのであるから、労働者と資本家とが一対一では極めて不平等で到底労働条件等に付対等な交渉や協定は出来ない。従つてこのアンバランスを是正する為めに労働者の団結権を認めるのである。これが近代的労働法の精神である。従つて労働者の団体行動の中には団結の力による威力を伴うことは当然のことであり、旧法時代には脅迫罪として取扱われた様な行為でも新憲法下の労働法では労働運動の正当行為と認められることもあるのである。即ちストは団体の力により大なり小なり資本家に経済的打撃を与え、多衆の威力に依つて労働条件の維持改善を図るものである。従つて旧法時代の法律解釈を以つて新時代の労働運動を律することは出来ない。然るに原裁判所は多分に旧時代的法律感覚を以つて、本件行為を判断したものと推定出来るのである。だからこそ原判決は弁護人等の本件を正当行為とする主張或は正当防衛であり又は緊急避難であるとの主張を悉ぐ排斥して居るのでる。要するに原判決は労働法上の精神を理解せず事実を誤認し不当に法令を適用した違法があるものであつて破毀せらるべきものと思料する。

【その二】

一、原判決は左記事実について重大なる事実誤認があり判決に影響を及ぼすこと明かである。

(一) 原判決によれば「昭和三十年二月二十五日佐野営業所においても第二組合支援のもとに、関東自動車株式会社労働組合佐野支部を結成し」云々と記載してあつて右第二組合の佐野支部が労働者の労働条件向上を目的として結成された正当な組合の如く認定している。然し証人高野、同飯塚宇一、同川田、同早川等の各証言を綜合すればかかる認定は全く間違つている。即ちこれ等の証言によれば、所謂る第二組合は、第一組合が結成された後に、従来会社で組織されていた共栄組合を発展的に解散したもので第一組合に対抗する為につくられたことは明かである。そしてこの組合の結成に当つては、会社は結成準備中に資金を提供し且つ会社の施設を自由に使用させたりしており、結成後の組合活動は何一つしてなく、唯その仕事は第一組合の組合員の引抜のみであつたのである。従つて第二組合の性格は御用組合というより会社の命をうけて第一組合を潰す為につくられた集団であると認定することができる。だから第二組合は第一組合の組合員に対する団結権の侵害を唯一の目的として結成されたものであるにも拘らずこれを漫然と労働組合と認定したことはその認定を誤つたものである。

(二) 原判決「被告人山田同阿由葉並に栃木県佐野地区労働組合協議会委員長米山誠一郎等外部支援団体員数名は、同日午後十一時頃前記飯塚の居住する同市南町三七一三番地関東自動車株式会社足利出張所に到り」云々と判示しているが証人大出頼子の証言によれば被告人等が飯塚の住居に赴むいたのはむしろ飯塚が被告人等の来所の希望していたから行つたことが明かである。

(三) 原判決によれば被告人等は飯塚宅で飯塚との話し合で同人の退席を阻止したり、又吊し上したりしたことを認定している。然し右認定中所謂吊し上けについては具体的行為を何一つ認定していない。そればかりか右認定によれば、飯塚が事務所階上に退席しようとするや被告人等はその後右飯塚を長時間屋外等に抑留し、又同人の出方如何によつては暴行又は脅迫を加えることもあり得ることを共謀したとしているが、この点についての各被告人等の証言と対比するとこの認定は全く為し得ないばかりかこのような共謀を認定する証拠は何拠にも見当らない筈である。

(四) 原判決によると被告人等は飯塚の腕を捉え同人を屋外に連れ出したと認定しているが、証人米山、各被告人等の証言によればかかることはなかつたことが明かである。唯当日は偶々夜遅くなつた為に飯塚の住居が間借りなので同人の希望によつて屋外で話しをした方が、同居人等に迷惑にならないので戸外に出たことが優に認定できる。

(五) 原判決によればその後被告人等は喜久住旅館の路上に飯塚を連行して同所で飯塚の腰部を突き、転倒させたり、同人の足を踏みつけたりしたと認定している。ところが右認定については証人飯塚宇一の証言によれば、同人は腰部の背後から突かれたにも拘らず仰向に倒れたと証言している。然し経験的によれば背後から突かれた場合前に倒れるのが当然である筈である。従つて右飯塚の証言自体が矛盾しているばかりか、各被告人等の証言によれば右の事実は全くなかつたことが認められる。又飯塚の右証言と証拠物である丹前と対比すると次の如き矛盾がある。即ち飯塚証人は丹前は警察の指示によつて本件事件後はそのまま使用せずに保管してあつたと証言しているが、証人根岸の証言によると飯塚はその後も右丹前を使用して根岸宅に診断をうけていることも明かである。そればかりか右根岸はその折に丹前の「ほころび」はなかつたと証言し飯塚の「ほころび」もそのままにしておいたとの証言と矛盾している。従つて根岸の証言によれば丹前には泥が附着しない筈である。にも拘らず、証拠物には明かにその附着がある。又右泥は喜久住旅館で転倒した時についたものであるが当日の十一時頃には雨は降つておらず従つて仮に泥がついたとしてもほこり程度の筈であるのに証拠物によると泥だらけの跡が明かである。

(六) 次に原判決は被告人等は飯塚を渡良瀬川堤防に連行し、該堤防で暴行、脅迫したと認定している。然し検証調書、米山証人の証言、並に各被告人の証言によれば右場所に赴くには途中交番の前を通る外なく連行など全く出来ない場所であるばかりか、右堤防に行つたのはむしろ飯塚の提案に従つたことが全く明かである。而も被告人等は堤防上に行つた時には直ちにこの旨を飯塚の妻に連絡していることは飯塚幸子が証言している。

(七) 次に飯塚は被告人等に島田幸三郎方に連行されたと認めているが、証人島田幸三郎の証言によれば「堤防上で双方の話がもつれ雨が降つて来たので双方よりどこかで話をつけようと提案が出されたとき、飯塚の家に帰ろうとの具体案が出たがこの案に対して同人は、私の家は間借で家族が多いから駄目だと返事していることを証言している。そして更らに島田が際々同人宅に来るように勧めた為に皆は島田宅に行つたことを述べている。従つて右証言によれば判示の如き事実は全く認められない。

(八) 次に原判決は本件事案の認定についてそのほとんどを飯塚宇一の証言を採用しているものと推認できるが右飯塚の証言が次の通り主要な点で前後矛盾している。(1)  飯塚は手首等に出血があつたと証言しているがその箇所については同人の妻の証言と相違している。(2)  飯塚はその証言で監禁の事実を否認し交番に救を求めることは出来たがしなかつたとか皆に取り囲まれていても少しも恐ろしくなかつた等と証言している。(3)  飯塚が傷害をうけたと証言した部分については証人根岸の証言と相違している。従つて飯塚の証言を重に基礎として事件事実の認定したことは誤りであるという外ない。

二、原判決は違法な公訴を受理しており、刑事訴証法第三百七十八条第二号に該当するので、破棄さるべきである。本件起訴状をみると、色々の事実を、法律的な評価、整理という基本的な操作を殆ど加えず、羅列しているに過ぎない。そして、これらの事実が、暴力行為処罰に関する法律違反並びに不法監禁罪を構成すると主張されている。しかも、この二罪は、併合関係にあるとされている。弁護人は、当初より、色々羅列されている事実のうち、どれが、暴力行為に該当し、どれが不法監禁に該当するのか不明であるばかりか、どこからどこまでが犯罪構成要件事実であるのか不明であるので、明らかにされたいと主張してきたが、判決時に至るまで、これらの点は明瞭にはされなかつた。起訴状記載事実が不明瞭であることは、原判決も認めており、明らかであるが、これらの点は、その後の公判進行中に、明確にされていない。これは、記録を一覧すれば明白であるに拘らず、原判決は、「数次に亘る裁判所並びに弁護人側の要求の結果、検察官においては被告人側の防禦権行使に不利益を生ぜしめない程度に訴因を特定した」と判示している。原判決が、いかなる事実を目して、訴因が一応特定されたとしているのかは、その説明がないので、明らかではないが、この点に関する原判決の認定は、根拠がないばかりでなく、「防禦権行使に不利益を生ぜしめない程度に訴因」は特定されたと、アイマイな表現をして言いのがれをしているに過ぎない。これは、全く、原判決の誤つた、独断的な価値評価であつて、被告人の防禦権が、このような、誤つた独断的認定によつて、制限されることは到底許さるべきではない。

三、仮に前記の主張が、刑訴第三百七十八条第二号に該当しないとするも、訴因の不特定な公訴は、刑訴法第二百五十六条第三項に違反し、同法第三百三十八条第四号によつて、棄却されなければならないものであるから、右規定に反する原判決は、同法第三百七十九条にいう訴証手続に法令の違反があつたものというべきである。しかも、この法令違反は明らかに判決そのものに、根本的な影響を与えるものであることが明らかであるので、当然破棄されなければならないものである。

【その三】第一総論

第一点宇都宮地方裁判所は昭和三四年一月二二日被告人山田長司外三名に対し同人等の行為は暴力行為等処罰に関する法律違反、監禁罪に該当するものとして有罪の判決をなしたのである。

しかしこの判決の罪となるべき事実及び被告人及び弁護人等の主張に対する判断を詳細に検討してみると原審は何れも検察官主張の事実を鵜のみにしたものであつて、著しく労働組合及びその団結権に対する偏見的誤りである。戦争前の帝国憲法に於ては労働者の権利は暗い治安維持法の圧力によつて認められなかつた権利であつた。当時は認められないのみか労働者の団結権に基く団体行動権はそれ自体犯罪であり特高警察の相つぐ弾圧により否定され刑事上処罪されたのである。しかるに終戦後に於ては日本帝国主義がついにもたらすことが出来なかつた労働組合の権利を新憲法に於て憲法上の権利として認め久しい間の厚生的労働関係は一応克服され、ここに労働者の権利ははじめて法律的には陽の目をみたと云えるのである。「個人法より社会法へ」というスローガンはこのことを示していると云いうる。新憲法に於ける農地改革は、即ち、地主に対する小作人の解放であつたが労働者権の確立は資本家に対する労働者の解放である。新憲法が新しく宣言した憲法第二八条は新憲法の下これが推進されて始めて我が国の民主化が推進され確立されると考えたからに外ならない。かくの如き傾向は何も我が国に於て特有のことではなく、ワイマール憲法をその嚆矢とする二十世紀憲法に於ては何れも見られるところの特色である。これらはフランス人権宣言等に於ける国民の基本的人権の宣言がその当時に於ける革命的宣言であつたと同様にこれら二十世紀の社会法的宣言も亦一つの革命的宣言であり質的転換をとげているものである。されば新憲法下に於て資本家に対する労働者の解放を遂げ労働者と資本家の対等の地位が実現され、労働者の団結権が認められた今日、旧憲法下の労働者権の否定の下に作成された刑法及び暴力行為等処罰に関する法律そのものもその質的転換を遂げたのであつて、その解釈及び適用にあたつては新憲法の理念に従いなされなければならないのである。以上の様な観点より本件をみるに検察官はこの事件を極く偏つた一方的な面のみから取上げ、又裁判官はこれを亦鵜のみにし一方的偏見をもつて判決しているのである。即ち本件の発端は判決自体も認めている如く被告人早川同島田が一部従業員の首きり撤回並びに待遇改善を主たる目的として結成された組合の執行委員長及び副執行委員長であるところ、この組合結成に狼狽した会社がこの組合を御用組合化せしめ、もつてその力を抹殺して自己の意のものとなし労働者の低賃金の上にあくまで自己の利潤を確保せんがため急拠結成された第二組合、いわゆる御用組合、換言すれば会社の手先、憲法上で保障された団結権に対する弾圧機関に対する自己防衛に関して発生したものである。従つて労働組合法にいう「労働組合とは労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善、その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合体」とは似ても似つかぬものであり会社のために、会社の利益のためにのみ働き、かつそのためにのみ存在価値がある組合である。されば少くとも前近代的性格を帯有し労働組合の存在に脅威を感ずる会社がそのために第二組合を利用し、第一組合の切崩しに狂奔したことは想像にかたくない。かかる会社の命を受けた第二組合の支部で特に特高警察出身の飯塚が第一組合の切崩に奔走したのは当然であり、本件の発端はかかる会社の労働組合に対する介入工作と一身同体のものであり、本質上不当労働行為に対する防禦であり第一組合員の正当なる権利行使即飯塚宇一に対する労働者としての自覚と反省を求める説得にあつたのである。それはむしろ任務ともいうべきである。されば前述の如く我が新憲法の理念を解するならば第一組合及び第一組合を支持する被告人等の真実の労働組合である第一組合の組織をまもるための団体的行動は憲法及び労働組合法上の基本的権利であつて組合組織の破壊を企てるものに対抗するのは正当な組合活動の一環でありその責任を刑事上民事上問うことは許されない。又組合活動はその本質上「多数の威力」つまり組合員の団体的行動による威圧を伴うことは当然のことである。団結の示威そのものが否定されたのでは組合そのものの存在が否定されることと同一である。又「暴力行為等処罰に関する法律」そのものもその成立の際に於ける時の政府はこの法律は労働組合運動には適用せず、いわゆる愚連隊を取締る法律であると言明している。これは旧憲法下に於ける言明である。然るにこの法律は立法者の意思を離れて労働組合の弾圧法であつたことはその歴史が示している。新憲法の下ではこの法律も質的転換をとげたはずである。旧憲法下に於てさえ労働組合運動に適用しないとして立法された法律を新憲法の下に於て労働組合運動に適用出来るであろうか、否である。以上の如き点を考えれば原判決の態度は労働組合に対する偏見か或は誤解に基くものであり、その法律的評価は根本的誤謬があると云わなければならない。

第二各論

第二点原判決には法令の適用の誤がある。

原判決は弁護人の公訴棄却申立に対し、「これを本件についてみるに、なるほど弁護人主張の如く本件起訴状記載の公訴事実は暴力行為等処罰に関する法律違反と監禁との両罪に該当する一連の事実を発現の順序に従つて記載し、一見或る場合における暴行若くは脅迫が右両罪のうちどの罪を構成する事実であるかその記載において不明瞭であつたことは否定出来ないが、数次にわたる裁判所並びに弁護人側の要求の結果検察官においては被告人側の防禦権行使に不利益を生ぜしめない程度に訴因を特定した上実質的審理の段階に至つたことが明白であるから弁護人の主張は理由がないとし、これらの罪は刑法五四条第一項前段の観念的競合の関係にあると判決した。これは全く被告人弁護人等の思いもかけなかつたところである。裁判所が明白になつたと主張する検察官の訴因の特定は「被告人早川は矢庭に飯塚の右腕をつかまえ……屋外に引出し」た行為は監禁の手段としての暴行で「被告人山田、早川等は交互に飯塚に対し……被告人島田は『そうだそうだ。』と申し向けて気勢をそえて脅迫し」は監禁の手段或は継続するための手段である。「被告人山田においてずるい野郎だ……締め上げろと語気強く申し向けた」行為は監禁の手段或は監禁を継続するための手段である。その他は監禁の手段又は継続するための手段ではない。」というものである。そして公訴事実を暴力行為等処罪に関する法律違反及び監禁の二罪即ち併合罪として起訴したというのである。しかしこれでは監禁に含まれない暴行脅迫行為は分つたであるが監禁の手段としての暴行脅迫によるか暴力行為等処罰に関する法律違反の暴行脅迫行為にもあたるものかは分らない。これでは訴因は特定されていないことは明白であるがそれに加えて、併合罪と検察官が主張するこれらを科刑上一罪と認定するが如きは裁判所に於て刑事訴訟法第三一二条に基き訴因の変更をなさなければならないところ原裁判所はこれらの手続をなさず慢然と判決したことは審判を受けた事件について審判をなさなかつたことになり刑事訴訟法第三七八条第三号に基き原判決は破棄されなければならない。又検察官は裁判所の釈明要求に対し前述の如く公訴事実の一部については「その他は監禁の手段又は継続のため加えたものでない」と主張している。されば検察官はあくまで併合罪として主張する建前として右に含まれない被告人等の行為は暴力行為等処罰に関する法律違反行為である(前述の如き疑問はあるが)として起訴しているのであつて監禁の手段としての暴行脅迫を評価しているものではない。されば監禁罪の暴行脅迫には罪となるべき事実記載の「前記出張所……その間飯塚においてこれに応ずる気配がないとみるや」「しかしそこでも被告人等の意にそう確答が……暴行を加え」の事実は検察官に於て監禁罪として起訴する意思がない以上、何れも含まれないものと云わざるを得ない。然るに原裁判所はこれらは何れも観念的競合関係にあるものとして判決した。されば裁判所は検察官が審判を求めていない部分についてもこれらの行為は観念的競合関係にあると判断している以上審判を受けない事実につき審判したことになる。されば原裁判所は審判を受けない事件について判決したことになるから破棄を免れ得ないと云わなければならないのであろう。更に原裁判所は法律の適用に於て被告人等の判示所為中監禁の所為と暴力行為等処罰に関する法律違反の所為の間には刑法第五四条第一項前段の関係、いわゆる観念的競合関係が存在すると判示した。これは法文上「一個の行為にして数個の罪名に触れ」る場合である。一個の行為とは経験的事実としての行為が一個であり且つ同一のものであることを意味する。そしてその一個の行為が数個の構成要件に該当する場合である。ところが原判決は罪となるべき事実に於てそれぞれ( )をして「暴力行為等処罰に関する法律違反の行為」と「監禁」の行為をそれぞれ別個に評価しているのであつて一個の行為が数個の構成要件に該当すると評価していない。即ち或る行為は暴力行為等処罰に関する法律違反行為であるが或る行為は監禁の開始継続又は維持の行為であると分離してそれぞれ評価しているのであるから自らこれらの所為が一個の行為にして数個の罪名にふれる場合即ち観念的競合の関係にあるということとは矛盾することとなる。原判決の罪となるべき事実の記載に於ては数個の行為が数個の罪名に触れる場合に該当するとしか考えることは不可能である。されば原判決は法令の適用の誤がありその誤が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れ得ない。

第三点原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある。

原判決は証拠の標目として種々の証拠を挙示しているがこれらの証拠中罪となるべき事実を証明しているかに見える証拠は労働組合運動の反逆者であり会社側の犬である第二組合の中心人物である飯塚宇一の証言及び被告人等の検察官及び司法警察員に対する供述調書の記載のみである。従つてこれらを信用性のある証拠として罪となるべき事実の認定の資料となしたのは明らかに判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認である。

一、先ず証人飯塚宇一の性格と思想よりその信用性を検討する。先ず彼の経歴より彼の人格形成ひいては偏向的性格形成について述べよう。彼は昭和一二年頃より終戦まで宇都宮警察署の警察官として同署の労政課に勤務し工場法に基く指導監督、工場設置の許可などの業務に従業していたそうである。工場法が戦前における労務管理の唯一の法律であつたことからこの業務は戦前の労働組合に対して関係が深く常に特高警察と密接な連絡があり戦前の我が国労働組合弾圧の一翼をになつたことは明白なことである。終戦後は右業務が労政事務所に移管されたため風俗営業係となつたが昭和二二年足利警察署に転勤となり同署においては経済副主任として勤務したが昭和二五年女性問題により退職を余儀無くされ退職したと彼はのべる。この彼の経歴より云えることは、彼が人間として人格形成の重要時期、換言すればほとんどその人間の人格、性格を形成する重要時期たる青年より壮年期の間に於て彼は警察官としての訓練と教育を受けたという事実である。即ち国家権力の最先端で徹底した権力弾圧機関、反論批判を許さない命令服従関係のメカニズムの下に教育され生長した人物であり、しかも労政課という警察でも弾圧機関の最たる特高と密接なる業務に従事していた彼はその環境及び教育の当然の結果として警察官特有の番犬根性、権力或は上位の者には弱く卑屈であるが反面弱い者や人民大衆に対しては高圧的態度、他人を色眼鏡をもつて観察し犯罪人視、犯罪をかぎ出そうとする岡つ引根性、これらの混合の上徹底した前近代的な労働組合運動敵視或は犯罪視する傾向を必然の体臭として具有したのである。これらの嫌悪すべき彼の番犬根性は彼が女性問題によつて警察官退職後不馴れな納豆製造に失敗し乞食の如く生活に瀕した時関東バス坪山庶務課長に拾われるや再び露骨に発現し会社の忠実なる番犬となりその手先として狂奔したのである。彼は番犬以外何も能力のない人間であり会社が平穏無事の時にはその力を発揮するチヤンスはなかつた。しかし彼が所属する佐野営業所に第一組合が結成されそれが前近代的労働感覚の会社に労働協約締結の要求をなすにいたり会社に対し脅威となるや会社の一大事とばかり会社及び御用組合たる第二組合と緊密なる連絡をとりその切崩に狂奔したのである。しかし彼は公判廷に於てはその如き真意を隠し第一組合の切崩に狂奔した理由を次の如くもつともらしく述べた。これは彼の組合観及び世界観思想を如実に示している。彼は第一組合は行過があり且つチヤージ問題に端を発して結成されたものであるから不純であると述べる。そしてその行過の具体例として(1) 締結要求した労働協約が東武鉄道労働組合の協約とほとんど同一であつたこと(これが彼の挙げた組合行過ぎの最大の理由であつた)(2) ベースアツプ要求が不当であること。(3) 社員の採用に組合が介入することを要求することは行過であること。(4) 従業員社宅を増設せよとあるが現在同会社には従業員社宅は一軒もないから増という要求は駄目であること。(5) 組合に専従者を置くというがこのくらいの組合に専従者を置くのは行過ぎである等大体五の理由を挙げてその不当性を非難した。しかしまず第一の労働協約問題をとりあげてみても労働協約なるものは何れの労働組合のものもほゞ内容は同一であることは我々の経験よりすれば当然のことである。又関東バスの佐野営業所の第一組合が同地区の同種企業の労働組合たる東武鉄道の労働組合を参考にして自らの労働協約を作成するが如きはこれ亦自然のことであつて何もそのことをもつて非難する理由は少しもない。故に彼の不満は労働者が労働組合を作つて会社に対し対等に要求すること自体会社に対する不忠でありとんでもないことだと考えていたのであり新憲法第二七条第二八条を理解せざるどころか無智であると云わなければならない。又第二のベースアツプ問題についても彼はその数字は分らないと述べている。彼がこの証言をなしたときは本件発生以来まだいくらもたつていない。それにもかかわらず彼は数字は分らないが不当であると非難するのである。故に彼は給料とは働かせていただいている労働者より要求すべきものではなく上から恩恵的に与えてくれるものであるから労働者より要求するなどけしからんと思つているのである。更に彼は社員の採用に組合介入云々と述べるがその時提出された労働協約案にはそれらの項目はなく彼一流の捏造であつた。又社宅の増設問題を取上げてもかくの如き理由を一人前の男しかも労働組合の執行委員ともあろうものが真面目に法廷で証言の上供述するのであるから驚き入る。全く子供の云うが如きで理由がないから無理に理由をひねり出しているとしか考えられない。最後に組合員の専従問題をとりあげてもこれは純然たる組合内部のことでありその給料は組合員が負担するのであつてみればどうしてこれが会社に対して行過ぎになるのか理解に苦しむところである。更に組合結成の端初にしても一介の営業所長が自己の感情的興奮をもつて会社幹部或は会議にはかることもなく一存をもつて従業員を解雇出来るが如き不安な又浮動的会社の労務管理システムに対し自己の従業員としての地位の保障及びその向上のため労働組合を結成して団結するのは労働者である以上憲法上保障された団結権以外の何物でもない。又解雇を契機として組合結成がなされることは亦我々のよく体験する事例である。たまたま本件がチヤージ問題を契機として組合結成がなされたものであつたとしても関東バスの佐野営業所に於ては会社の低賃金政策に基きほとんどの従業員は自己の生活のためチヤージをなしていたのが実状であるにもかかわらず被解雇者の決定は前述の如く懲戒委員会の如きものにかけられることもなく一営業所長の感情でなされたのである。かかる労務管理及び低賃金に対し労働者が自已の生存権、労働権のため団結するのは自然の勢である。以上の如く飯塚は弁護人の反対訊問に於てそれらの点を問ひただされるや何ら返答出来なかつた。これは彼の挙げる理由か何れも真実の理由ではなく真の意企は隠されていたからに外ならないのである。かくの如く労働組合の無理解者は第二組合の執行委員であり且つ佐野支部支部長である。ここにもこの第二組合の性格の一端が如実に表現されているのであるが、更にその成立を検討するとその性格が徹底的な御用組合であることが判る。そもそも関東バスの第二組合は同会社の佐野営業所に第一組合が結成されその波紋が他の営業所に波及し次々に組合結成の動きが出て来たためそれに驚愕した会社はこれが切崩しのため今迄会社にあつた共栄組合という社長が会長である産業報告会のごときものを急拠解散し第二組合なる御用組合を結成させたものである。それ故この御用組合は労働組合である以上その連帯性より直ちに上部団体たる地区労や県労に加入し組織の強化をはかるべきところその性格より現在まで加入していないのみか執行委員たる飯塚はかかる上部団体の加入は執行委員会の議題になぞなつたことがないということである。その理由として彼は「地区労には組合の組織ががつちりしてから加入すべきであり第二組合はまだ一人前になつていないからである。」という。しかし労働組合がその結成後一人前でなく組織ががつちりしていないからこそ地区労や県労に加入してそのバツクアツプの下に組織を固め一人前に成長させるのが組合の実状であるところ彼の理由とするところは全く逆である。ここにも彼が不用意にももうした第二組合の御用組合性格が露呈されているのであるがかかる組合であるから会社は第一組合に対しては労働協約締結のための団交要求を拒絶ししつづけたにもかかわらず第二組合が結成されるや自らすすんで直に労働協約を締結しているのである。彼飯塚はかくの如き組合のためひいては会社のため会社の手先となつて第一組合切崩に狂奔した。彼の如き犬が右の如き理由でなければどうして組合のため努力しようか。彼は昭和三〇年二月初旬第二組合三役と始めて会つたときその組合の性格目的もたださず無条件に第一組合切崩しに努力することを誓つている。元来労働組合に批判的である彼がよく組合の性格、目的、主張、要求を聞くことなく一度会つたぐらいで直ちに右の如き約束出来るものではないはずである。彼は第二組合が典型的な御用組合であり、第一組合切崩しに努力することはとりもなおさず会社のためであり自己の栄達をはかるものであると熟知していたから二つの返事で請負うたのである。更に彼はこれらの労働者が相争うことなく統一に何故努力しなかつたかの質問に対し「組合の統一がのぞましくあつたが現状では不可能と思つた。」と空々しく供述した。しかしこれは全く事実と反するのであつて第二組合佐野支部結成の日当事者の話合いによつて第一組合と第二組合との統一が可能となつてその調印の時になるや「俺の顔はどうしてくれる。」と前近代的な言葉を吐いて席をたちこの調印をぶちこわしてしまつている。彼の法廷に於ける証言では全く望んでいたことが現実には彼の最も忌み嫌うところのものであつたわけであり彼は自己の番犬根性を発揮するチヤンスが失われ自己の努力が水泡と帰すことをおそれたのである。労働者の幸福よりも彼にとつては自己の栄達こそが大切であつたのである。以上の如く彼の思想性格は徹底した会社の番犬根性で労働組合の本能的嫌悪者であり又個人主義者であることが明白であると云わなければならない。

二、以上の如く性格破綻者である飯塚の悪意にみちた証言を以下検討するならば彼の証言の証拠能力が皆無であることが分るところ原裁判所はこれを基にして判決しているのは著しき事実誤認である。先ず本件が第一組合に対する関東バスの手先である第二組合(その中心は飯塚)による悪質陰険な又執拗な切崩の最中発生し右防衛的立場に追いこまれた第一組合は結成後間もない幼稚な組合であり連日会合を開いてその対策に腐心疲労且つあせつていた状態であつた。従つて如何にしてもこの切崩問題を早急に解決する必要に組合員のみならずその組合員のために闘う山田代議士を始め関係者一同迫られていたこと。山田代議士を始め当夜の関係者一同は飯塚よりこの問題解決のため第一組合と話合いたい旨申入れがあつたことを伝え聞いたのでわざわざ飯塚のところに赴いたところ飯塚は全然その様な申入れはなしておらず且つ話合の意思は毛頭有していなかつたということ、をあらかじめ考慮の上検討しなければならない。彼は被告人等が佐野営業所に来たときはその様子は激烈ではなかつたが外に出る頃は相当険悪になつていたと述べた。彼の供述どおり最初険悪でないのは当然のことでありそもそも被告人等が佐野営業所に赴いた動機が飯塚が話合いたい旨申入れたことを伝え聞いたから行つたのである。話合いに行く者が最初から喧嘩腰になることはないし又その必要もない。ところが一方の飯塚は始めより被告人等と話合う意思は毛頭なく敵対的であつた。これは彼の性格と彼の切崩の目的を考えるならば当然すぎることであつたろう。更には彼自身が被告人等を含む第一組合撃滅のための陥穴であつたのである。故に険悪になつたその原因は彼の挑発行為以外何物でもない。いわんや彼は被告人等を含む全員に対して「誰の許可で入つて来たか。」などの暴言を吐くにいたつては腹が立たないのは普通人ではない。彼は、佐野営業所の雇人で営業所二階に起居しているものである。それが被告人等の仕事場である営業所に於てあたかも自己が会社重役のごとき言辞を弄するにいたつてはなにおかいわんやである。しかしそれだからといつて被告人等は暴行を加えたわけではない。被告人等に手をつかまれる暴行をされたというのは飯塚及びその妻である。ところが不思議なことには同じところで見ていた根岸和賀子は「手をつかまれたのは人がいて見えなかつた。」と証言している。同所にいた飯塚の妻だけが見えるのはおかしいことであり飯塚の妻は飯塚より聞いたか又は同じ穴のムジナとして捏造したのであろう。しからば飯塚の証言は真実であり証明力があるかというとそうではない。彼は手をひつぱられて他の者から押されたと云つている、ところが他の供述では手をかかえこまれたまま喜久住旅館までつれて行かれたと述べている。手をひつぱられるということと手をかかえこまれることとはその態様に於て大違いである。その上彼は家を出るとき敷居でつまづいて後によろけたと述べている。原判決はこれをほとんど認めている。しかし早川、島田両被告人に前方より腕をひつぱられ後より二三人より押されている状態に於てつまづいた場合後によろけることがあるだろうか。ましてやつまづいたのであれば物理上慣性の法則によつて飯塚は前方によろけなければならないはずである。後によろけるなどあり得ないことである。更にこの時飯塚は一言も発しなかつたそうである。そして彼は後になり非常に恐しかつた旨述べている。このことはなんと不自然なことではないか。罪となるべき事実記載のごとく「……取囲んで強いて同人を屋外路上に連れ出し……連行し。」たというのであれば身の危険を感じ現場にいた人に何か叫ぶか助けを求めるのが常識であろう。まして現場には彼の妻もいたのである。その上判決記載の如き状態で喜久住旅館の前に飯塚を連行したのであれば大変である。判決はこれを監禁開始の行動と認めているのであるが喜久住旅館より佐野営業所は約三〇米離れているのであるからかかる距離飯塚をひきづつてくるのは困難である。いわんや右道路はこの土地の交通の激しいところであるから人目につくことおびただしい。これを自己の選挙区である山田代議士ともあろうものがどうして黙認していようか。以上の事実よりすれば彼の述べていることは全く捏造でありデツチアゲであることが分るのである。従つてこの点に於て原判決は著しい事実誤認があると云わなければならない。更に原判決の判示事実を検討しよう。「同所において飯塚の強硬な態度に憤激する余り同人を取囲んでいた一人が飯塚の腰部を背後から突き同人が転倒するや被告人早川は飯塚の左足を蹴つた上靴でふみつけ……」と判示しているが全く事実誤認もはなはだしいものである。飯塚の証言は「以上の様な状態(手をひつぱられ後から押される状態)で自分で歩かなくとも自然と前に進んで喜久住旅館の前まで来たとき後から阿由葉被告人が腰を拳骨で突いたので仰向けに倒れたら早川被告人が足で蹴り靴でふんづけた」というものである。ただ原判決と異つているのは飯塚の腰部を誰かが背後より突いたというだけで阿由葉被告人が不特定の者になつているだけである。そこで喜久住旅館附近の状況をみてみるに当夜は鈴蘭燈はともつておりまだ附近の人々も床につかず人通りも少しあつた。すぐそばにはソバヤがあり五六人の客がソバを立喰いしていた。かかる状態で前述の如く飯塚を連行した上、以上の様な暴行が可能であろうか。殊に山田代議士は国民の代表者たる国会議員であり数万の選挙民より信任投票を受け人々にはあまねく顔を知られている。加ふるに代議士は自己の選挙区では針小棒大なデマが飛ぶものであるから自己の選挙区では非常に気をつかうものである。されば自ら進んで本件の如き暴行に加わらないのは勿論のこと以上の如き暴行がなされたとするならば彼は直ちにこれを止めた筈であり又そば屋にいた五・六人の人達もこれを阻止するか警察に通報するであろう。町の愚連隊の兄ちやん達ではあるまいしただ一人の人間を腕づくで大道に引出し衆人環視の中で暴行を加えるが如きことが常識上あり得るだろうか。いわんや国民の良識を代表する国会議員である山田代議士が居るのに想像も出来ないことである。又原判決の「同人を取囲んでいた一人が飯塚の腰部を背後から突き」という事実は起訴状では阿由葉被告人がなしたことになつていた。しかしかくの如き検察官の主張及びそれを裏付ける飯塚の証言は完全に弁護人の反対訊問によつて崩された。これは全く飯塚の創作であつたからに外ならない。されば飯塚は自己の偽証をおおいかくす為に誰かが突いたと云い逃れている。すると原判決はこれを無条件に採用し「同人を取囲んでいた一人が」判示したのである。これでは反対訊問も何にもならない。飯塚が阿由葉被告人がやつたと証言し検察官がその旨主張するから弁護人はその点を反対訊問で根拠のないものであることを立証するや苦しまぎれの逃げ口上をそのまま採用するのでは反対訊問は無きに等しい。そしてこの場合は彼の供述が全く出鱈目であることは他の彼の供述でも明らかであつたのである。即ち彼は背後から腰のあたりを突かれるや仰向けに倒れたということである。彼は仰向けに倒れたから皆の行動がよく見えたと云いたかつたに相違ない。しかし自然の法則はこれが誤りであることを示している。背後より腰のあたりをつかれるならば前向きに倒れ必ず手をつくはずであり前から押されるならば必ず後によろけてシリモチをつくはずである。ところが彼は奇妙にも仰向けに倒れた。あまりの小細工にその虚偽をはからずも暴露したのである。又彼は転倒した時声を立てなかつたと述べる。しかし後から何者かに腰部を突かれ大道の真中に仰向に倒された上足を蹴られ、ふみつけられた人間が近くに人々が五六人、それに山田代議士もいるのに本能的に何らかの発声をなさないということは極めて不自然である。いわんや彼は警察官の長い前歴のある男である。かかる場合如何なる方法をとるべきかは専門的に熟知しているのである。更に早川被告人の暴行について原判決は慢然と検察官の主張を鵜のみにして判示した。しかし飯塚は決して、反対訊問に於ては早川被告人が暴行したとは述べていない。彼は問いつめられて「早川被告人の暴行については見ていないが早川被告人は乱暴な人だから、早川被告人がしたと思うと答え、更にどこが乱暴だと突込まれるやその返答に窮している。乱暴な感じがする人間だから犯人だということでは全くたまつたものではない。何人も感じで犯人になることなど未曽有のことであろう。かくの如き飯塚の如き創作者にしてもついに虚偽をおしとおすことが出来ないところに追いつめられつい真実を不用意にもらしたものに外ならないのである。そしてあくまで被告人等を罪に陥れんとする意思の妥協が前記の供述であつたわけである。しかし原裁判所は毎回の法廷でよく分つたはずと思つていたのであるが早川被告人は温和な人柄でしかも同僚が解雇されんとするや自らの首を覚悟で組合を結成して同僚の危機を救うが如き正義感の強い人間であり又対立関係にあつたとは云つても同職場の者であり朝晩顔を合わせる飯塚を大道の真中で且つ衆人環視の中で前記の如き暴行をなすであろうか。更に渡良瀬川堤防上に行つた時の被告人等の行為につき原判決はやはり監禁の維持又は継続の行為であると判示している。飯塚は「山田代議士が附近に弥次馬がいるし、起きている家もあるから他の所に行こうと云つたとき、山田代議士の態度は高圧的でも激越でもなかつた。自分は行くとも行かないとも云わなかつた。帰してくれとも云わなかつた。山田代議士がいたら堤防に行くのは暗黙の中に同意した。手をとられて引張られるということはなかつた。自分も顔見知りの人に見られると工合が悪いと思つたのでいやいやついて行つた。」と証言している。これが監禁である。近所の人達に見られるのがいやで又山田代議士の存在を信頼して堤防の上に行くことを暗黙の中に承諾した人間と一緒に三々五々堤防の上に行くのがどうして監禁となるのであろうか。かゝる夜中誰でも好きで行く人間はいない皆一同は問題を解決しなければ大変なことになると思つていたから飯塚と交渉しているのである。されば問題の解決を欲せず少しでも解決を遷延させ第一組合の壊滅を念願とする飯塚が問題の解決のために喜んで堤防上に赴くことのないのはその内心としては当然すぎるほど当然のことではなかろうか。更に原判決が判示した堤防上に於ける被告人等の暴行についてみるに、原判決と起訴状記載の事実と異るのは「飯塚の背後より同人を取囲んでいた中の一人が腰部を足で蹴つた」という事実が起訴状では早川がやつたことになつていることである。そこで原判決がなしたという山田代議士の行為を検討するに彼は山田代議士に一間位振り廻されたと主張する。しかして原判決はやはりこの点をうのみにしている。しかし彼の証言によれば当時堤防は非常にその状態が悪く、表面は凸凹が著しかつたそうである。山田代議士の行為はゆつくりでなく大分速かつたそうである。そして原判決は「前後にゆさぶり或は振り廻した。」ことになつている。しかるに飯塚の供述では彼が当夜はいていたサンダルは抜けなかつたそうである。彼の云うところのサンダルはいわゆるツツカケであり以上の条件の下に於て両方とも全然抜けないことが常識上あり得ようか。されば彼が何んの気なしにもらしたサンダルの件は彼が少くともふり廻されていないことの立証をなしていると云うべきである。更に「腰部を足で蹴つた暴行」を検討しよう。これは前述の如く早川被告人がやつたことになつていたが飯塚は反対訊問に於てシドロモドロになつて始め明確に確信的に主張していた早川被告人について記憶がないと云ひはじめたのである。そこでさすがの裁判所も気がひけたのか「取囲んでいた中の一人」と判示した。これは前述した非難がここでもあてはまる。あれほど確信あり気に検察官の問に対し供述した飯塚がどうしてその前言をひるがえさなければならなかつたのかを考えてみるがよい。彼一流の事実捏造以外考えられないではないか。そしてこの暴行の際飯塚は「全然よろけなかつた。」ということである。敷居につまづいて後によろけ、後から突かれて仰向けに倒れるという不思議な放れ業を演じた飯塚は今度は革靴で腰のあたりを不意に蹴られても微動だにしなかつたという曲芸をやつたことになる。足で蹴ることは可成の力で押されたことになりそれも不意である。常人ならば少くともよろけるであろう。全く彼の嘘もここまで徹底して来ると馬鹿馬鹿しいものであるが原裁判所は当然のこととして判示している。しかし彼が「全然よろけなかつた」ことは即ち誰も暴行していないことを示す以外何物でもないのである。次に阿由葉被告人の暴行を検討してみる。原判決は起訴状記載のとおり事実を認定した。しかし飯塚の供述によれば阿由葉被告人が暴行する直前阿由葉被告人は飯塚の右横にいたそうである。ところが暴行の際阿由葉被告人はわざわざ反対側たる飯塚の左手をねじあげたということである。常識的には右側にいたならば近くの右腕をつかむのが当然であろう。右側にいて反対側の左手をつかむのはどう考えても不自然である。まだ疑問は別にあるが後程述べる。次に島田幸三郎方に行くときの飯塚の心理につき彼は「島田幸三郎さんが声をかけたときはほつとして土手より座敷の方がよいと思つた。」と供述した。しかるに原判決はこれを「引入れ」と判示した。しかしこの島田方に行つたときは誰も暴力をもつて連れて行つたわけではない。それぞれ三々五々と皆歩いて行つたのである。それにも拘らず「引入れ」なる判示は起訴状と同様被告人等に対する隠されたる悪意偏見以外何物でもない。自ら島田方に行くことを欲しい飯塚に対してどうしてこれが「引入れ」となるのであろうか。又もし判示事実の如く堤防上に於て被告人等が暴行脅迫を飯塚に対して加えているのであればこの事件に対する無関心なる第三者である島田幸三郎は自己の座敷を提供するであろうか。彼は二・三〇分被告人等の行動を視察した上での申出である。何人も暴力団を自已の座敷に招き入れ、そこで暴行をはたらかせるほどのキトクな人間は世の中にはいない。何人でも君子危きに近寄らず、さわらぬ神にたたりなしとばかり傍観するであろう。いわんや、島田方には生れたばかりの赤ん坊と産後の肥立が悪い奥さんがいるのである。おまけに時刻も時刻である。かかる点より原判示は完全に否定されなければならない。島田幸三郎方に於ける状況は本件に対する無関心なる第三者として最も証明力ある島田幸三郎の証言をもつて原判示の事実誤認を後に立証する。島田方を退去する際の山田代議士の「締め上げてやろう。」という事実はさすがに原判決は気がひけたか認めなかつたが飯塚の供述によればこの言葉を聞いても「暴行を受けるとも思わず」「特に怖いとも思わなかつた。」「逃げようとも思わなかつた。」ということである。しかし判示事実では飯塚は喜久住旅館の前路上、更に堤防上に於て暴行を受け後にはこれが原因で後には発熱し往診してもらつたそうである。その様に烈しい暴行を受けながらも彼は暴行を受けるとも思わず怖しくも逃げようとも思わなかつたそうである。通常人にはふるえ上らなければならなかつた言葉は彼には何んともない言葉なのである。この言葉は裏返しをしてみれば彼自身が暴行を今迄受けていなかつたので暴行を受けることは考に浮ばず又怖しくも逃げようとも思わなかつたのであることの証左に外ならないのである。更に島田方を辞去した被告人等及び飯塚は再び三々五々堤防に戻つたのであるがその際飯塚の近くには早川被告人しかいなかつたのに充分逃げられたと供述している。これは被告人等には監禁の意思がないので監視する必要がないからに外ならない。その早川被告人に対して飯塚は「早川さん、これからもやるのかい。」と述べたと云う。彼自身の供述では早川被告人より喜久住旅館前路上では足を蹴られ且つふみつけられ又堤防上では腰を足で蹴とばされた飯塚はその当然の結果として早川被告人に対しては憤瞞やるかたないはずであるが親しく話しかけている。ここでも彼の虚偽の陳述はうかがひ得るのである。そして飯塚の廻りには早川被告人一人しかいない状態において堤防に赴いたにもかかわらず原判示は連行したことになるそうである。しかも飯塚と早川被告人は親しく話をしながら堤防に赴いたにもかかわらず。更に原判示によると被告人阿由葉が飯塚の腕を再びねじあげたそうである。阿由葉被告人はこの外飯塚の義父に対しても腕をどうかしたそうである。全く前後三回人を見たら腕をすぐねじあげる不思議な性癖をもつた男であると寒心せざるを得ないと共に飯塚の供述に不自然さを感ずるのは弁護人被告人のみではない。これは全く飯塚の義父に対するヒントより得た飯塚独特のデツチアゲ以外何物でもないのである。以上の如く飯塚の供述を全体的に考察してみ、飯塚は最初検察官の訊問にしつ尾を振つて迎合していたのであるが弁護人の反対訊問に対しては全くシドロモドロとなつた。彼の明確な証言は何が何やら分らないものとなつたのである。そして「全体を通して特に隙があつたら逃げようという気はなかつた。人に救を求める気もなかつた。巡査に救を求める気もなかつた。逃げ出したり救を求めたりする程の恐怖心もなかつた。」と述べたのであるが後になりこれでは被告人等を罪に陥れることが出来ないと感じたのであろう。「大声をあげたりする気持の余裕がなかつた。逃げる気がなかつたのではなく気がつかなかつた。」「島田幸三郎に救を求めることも考えていなかつた。」と述べた。しかし通常人であれば身の危険を感じ恐怖心があるならば先づ如何にしてこの危険より身を守り逃げるかということで頭が一杯のはずである。ところが飯塚は怖しくて逃げることに気がつかなかつたそうである。一方逃げることに気がつかない程怖い目に遭遇した飯塚は本件で誰がどの位置にいて如何なる行為をなし如何なる言葉を吐いたかということについては詳細なるテープレコーダーの如き正確な記憶がある。全く世にも不思議な、又奇妙なる性格であり記憶の持主といわざるを得ないのである。彼が逃げることに気がつかなかつたのは従つて被告人等の行動に対し恐怖がなかつたからであると考えざるを得ない。以上の如く飯塚の証言はいたるところ矛盾憧着しその虚偽は不本意にも暴露されているのであり実に犯罪を捏造し他人を自己の筋書のわなにおとし入れんとする悪意以外何物でもない。これを更に徹底的に暴露するため冷静なる第三者たる島田幸三郎証人の証言を検討してみる。

三、島田幸三郎の証言 島田幸三郎によると彼は約二、三〇分目を離さず被告人等の行為を見ていたそうである。「その間堤防上では乱暴している様子は全然なく一人の男を囲んでいるようにも始めは見えなかつた。」「痛いという言葉を発していない。」「こうしたらいいではないか、ああしたらいいではないかとさとされているようであつた。」「なだめのような調子でこうしろとか。こうしたらよいではないかという声があつた。」と証言した。かかる当事者の納得ゆくまでの自由意思による話合ひがどうして監禁になるであろうか。又島田証人は「自分より部屋の提供はした。」「家に入つて来たときは飯塚も皆も喜んでいた。」と述べている。前述した如く暴力団に自ら進んで自発的に部屋の提供を申入れる者はない。暴力団でなく当事者が少くとも一方的には真剣になつて話合つていたから気の毒に思つて自ら申出でたのである。又飯塚自身喜んでいたという。されば少くとも喜んで自ら監禁される者は存在しないであろうから島田方に赴いたのは飯塚の自由意思以外何物でもないということになる。されば島田方に於いて飯塚を監禁したというが如きは明らかなる事実誤認と云う外はない。又島田方に於ける被告人等の態度については「家では二つの組合を一本にまとめるというのが中心であつた。」「納得のゆく様にという調子で話合つていた。」「その人達は二つの組合をまとめようと一生懸命していた。」裁判長の問に対しても「そんなに荒々しくなく納得のゆく様話していた。」と証言し飯塚の態度については「飯塚があくまで強情をはつている様であつて全然受けつけなかつた。」「しおれているとか、困つているとかの態度は見えなかつた。」「現場では強い興奮は見られなかつた。」更に「赤ん坊は目をさまさなかつた。」と証言した。赤ん坊さえ目をさまさないような言葉態度でどうして原判決の如く暴行脅迫監禁ということになるのであろうか。飯塚が彼の供述どおりの暴行脅迫を受けていたならば恐怖と逃避のため被告人等の申入を当然容れているはずである。それを島田幸三郎の前で全然受けつけないということはとりもなおさず関係者はたゞ話合ひのみをやつていたふうに外ならないのである。本件の如くイデオロギー或は世界観、組合観の根本的対立にある事件にあつては被害者の供述は特に信用出来ないことは幾多の実例の実証するところである。従つて利害関係ない、第三者の証言が一番証明力をもつところ右の如く島田幸三郎氏は監禁の事実を否定するような証言をなしている。被告人等の当夜の行動を偶然にも第三者たる島田幸三郎氏が傍見したということは被告人等にとつては不幸中の幸であつた。もし島田幸三郎氏が現場に居合せなかつたら飯塚の陰険なる綴方の陥穴に全員はまつていたのである。

四、現場の雰囲気 現場に於ては或は可成強い言葉があつたかも知れない。しかし先づ飯塚宅に於ては被告人等が赴いたのは飯塚の申入れがあつたと伝え聞いたからである。或はこれが彼の陥し穴であつたかも知れないが、もし真実飯塚がかかる申入れをなしていないとしたならばここに両者の間には可成の齟齬が存在した。そして加ふるに飯塚は「誰の許しで入つて来たか。」などの暴言を吐いたことは前述した。従つて問題は飯塚の態度による。彼の態度は島田証人の証言の如く強情であり傲慢である。それに加えて前記の如く状勢は逼迫していた。かかる場合あせりと挑発のため或る程度大きな声はやむを得ない。飯塚はこの大きな声について「前半は被告人やその他の者から事実無根のことを云われて応答していたが返答の仕様がなくなつたところが更につつこんで来るので感情的になつた。一方被告人その他の者は飯塚がいい加減なことを云うので感情的になつて双方共調子が高くなつて来た。即ち議論が沸騰して来ると双方とも興奮して言葉も調子も激しくなり声も高くなつた様な状態である。」と述べている。島田幸三郎氏は「さとしている様であつた。」と証言したのは前述のとおりであつた。かくの如き言葉はその場その場の雰囲気と相手の出方、当事者の身分・職業によつてそれぞれ評価が異るのであり一般的画一的に評価することは出来ない。或る雰囲気では乱暴な言葉も或るところではむしろぴつたりするし又或る職業の者には聞くにたえない様な言葉は或る身分の者にはむしろ使われなければおかしくさえなる。まして本件関係者はほとんどが運転手であり気の荒々しい人達であれば双方の興奮状態の言葉のみを抽象して取上げて法律的評価するのは明らかな誤謬である。そのいきている言葉をその生きている空気の下で正しく評価すべきを原裁判所は誤つている。本件について反省するに飯塚は警察官上りである。彼は犯罪というものが如何に捏造され無実の罪があるかということを熟知しその方法にも亦熟達している。彼はそのデツチアゲの第一歩を医者の往診に求めている。彼の如き一地方の小さいバス会社の一介の事務員がたかたか少しの熱があり体がだるいぐらいで往診を求めるのはその不自然さにすぐ気がつく。その上彼は次の段階として警察官の臨床訊問を求め詳細なメモを作成した。臨床訊問という大げさに驚かないものはないのであろう。かくの如き彼は巧妙に被告人等の事実を捏造した。しかしその方法はあまりに大げさで且つ各所に矛盾を暴露した。しかし彼はその目的を達したのである。彼はこれらを第一組合切崩の手段として国家権力を自己の側に引き入れることに成功したからである。そして早川被告人等が逮捕され第一組合が事実上崩壊し被告人等が起訴され有罪の判決を受けた現在自己の書いた芝居の筋書どおり進行したこの喜劇を演出家として会心のほほえみをたたえているであろう。そして原裁判所はかかるデツチアゲを慢然見過し検察官の起訴に何らの反省もなく有罪の判決を下したのは明らかな事実誤認である。

五、検察官の面前調書及び司法警察員の面前調書について 本件に於てこれらの調書が証拠として本件罪となるべき事実の認定に重要な役割を演じている。裁判所はこれを無批判に受入れている。検察官面前調書をとられたが最後有罪が確定するということを我々は今度も体験したのである。しかしここでもう一度新刑事訴訟法の精神にたちかえりかかる無批判的証拠採用を批判しこれらの証拠採用が採証法則に違反している旨を述べる。当公判廷に於ては飯塚宇一は検察官の証人訊問に対しては犬が尻尾を振るごとく迎合して証言した。そして弁護人側の訊問には徹底的な敵対態度をとつたが全部前述の如くその信用性は崩れ去つた。これは皆反対訊間の力である。故にウイグモアを始め大多数の学者は伝聞証拠として採用することを得ないのは反対訊問にさらされていないからであるからと説く。しかして原則として伝聞証拠は証拠とはならない。即ち公判廷ではその訊問は一つのルールがある。ところが捜査当局の面前調書作成の際はルールがない。強制誘導は自由である上にその供述は一番重要な反対訊問にさらされていない。加ふるに証人は公開の法廷に於て真実供述の旨の宣誓をなした上裁判長より偽証の罪を告知されている。何れをもつてより証明力があるかは自ら明らかである。ところが我が国では証人が公判廷に於て少しでも検察官の意に副わない供述をなした場合はほとんど検察官は面前調書を証拠として提出し裁判所はこれを無批判的に証拠として採用している。そもそも面前調書は本来は公訴機関が公訴を提起するか否かを判断する資料たるにすぎないものなのである。又被告人等は家庭にあつてはよき父であり、夫であり、職場にあつてはよき労働者であり平穏なる市民生活を営んで来たものである。彼等にとつては逮捕ということは大なるシヨツクでありそれ自体強制、拷問以外何物でもない。被告等は皆かかる陰惨なる勾留というが如き経験を有するものはいない。いわんや逮捕にひきつづいて勾留された者の中には新婚旅行より帰つて来たばかりの者もいた。これらの不安動揺の精神状態につけこんで当然我々がその職務上何時も体験する「自白したらすぐ家に帰してやる。」「誰々はこう自白しているぞ。」「君だけがしやべらなかつたら損をするぞ。」などの恐しい言葉を二十三日間連続して浴びせられれば普通の人達は自白することは当然である。又佐野地方には民主的弁護人はいない。そうして二十三日間不安と動揺の心を鉄窓の地下室に閉じこめられたのである。或る検事など三時間あれば白を黒にしてみせるというが如きことを豪語したことさえある。従つてこれらの供述調書を無条件に無批判的に受入れ証拠としている原判決は明らかに採証法則に違反していると云わなければならない。

第四点原判決は明らかに影響を及ぼす事実誤認がありその結果法令の適用の誤りがある。

(イ) 労働組合の正当の業務並びに正当防衛及び期待可能性の不存在 本件は労働組合が自己の団結権擁護のためなしたものであるから労働組合の正当の業務であると同時に権利擁護のための正当防衛であり且つ期待可能性がない。原判決は第二組合が弁護人主張の如き御用組合でありその佐野支部長であつた飯塚宇一が第一組合の切崩工作に奔走していたとの点についてはいづれもこれを認めるに足る確証はないと判示した。この判示に対しては弁護人は唖然たらざるを得ない。第二組合が御用組合であり飯塚が第一組合の切崩し工作に奔走したことは飯塚自ら認むるところのみならず幾多の証拠によつて立証されていることであるからである。これでは一体原裁判所は長い才月の間一体何をしていたのであろうか。従つて証拠に基けば、本件は第一組合に対する第二組合(この実質は会社の御用組合であり、会社による労働組合切崩弾圧の機関であつて憲法で保障する労働者の団結権否定のための違法な団結である)の悪質陰険なる挑戦に端を発したものであることが直に分るのである。第二組合の結成の動機及び端初をみるに佐野営業所に於て解雇問題を契機として第一組合が結成され労働組合法で保障されている当然の要求たる労働協約締結要求をなした。そして労働組合結成の波紋は低い労働条件と低賃金にあえぐ各営業所に波及する動きを示し宇都宮などではこれが具体化したのである。これは今迄労働組合が存在しないことを誇りとし共栄組合と称する会社の社長が現職でそのまま会長である戦前の産業報国会のごとき組織しかない前近代意識の会社にとつては大きな驚きであり会社はその存在を認め労使が対等の立場に立つて交渉するという近代的労働法意識に目覚めるどころか逆にその存在を否定し弾圧にかゝつたのである。しかし会社は弾圧によつても労働組合結成を阻止することが不可能であると悟るや矛先を転じ御用組合たる第二組合を会社の援助の下に急拠作りあげ、その骨抜に努力した。故に前述の如くこの組合は地区労にも今日まで加入しないし又その気配さえない。それは当然のことであり御用組合は会社にすがつているだけで充分であるからである。以上の様な一般的状勢の下に飯塚宇一の第一組合の切崩工作を具体的に述べ原判決の認定の不当の立証すれば、彼は昭和三〇年二月初旬宇都宮にある第二組合の三役より第二組合佐野支部結成の依頼をうけてすぐそれを承諾したそうである。しかし第二組合が会社の御用組合でなかつたら第二組合の三役はどうして第一組合の被告人等に話をもちかけなかつたのであろうか。そして第一組合と統一して決して切崩す様なことはしなかつたであろう。労働組合の力は団結以外にはないのであり組合が分裂するのがその致命傷であることは誰でも分る理論であるからである。そして彼等三役は秘密裡に特高警察上りとも云うべき飯塚にその話をもちかけたのである。全くその発端よりしてその性格を暴露している。飯塚は第一組合の役員たる被告人等に相談は勿論していない。又全従業員集会に於て意見発表をなし投票するなどの組合民主的方法をとるどころか夜八時頃より十時頃までこそこそと組合員の自宅を個別訪問して脅迫的に組合脱退勧告第二組合加入を勧誘したのである。先づ彼が目をつけたのは彼自身の供述より明らかな如く会社に長く勤務し給料も高く、家族数の多い人達である。これらの人々は最も自已の地位の安全を考えいたづらな冒険を避け会社の顔色をうかゞう人達である。かゝる人達に対しその首の問題を提起すればその脱落はいとも容易であることは首肯出来る。かゝる陰険な飯塚の切崩工作に対して被告人達は再三にわたつて同人に抗議をなし一度は彼自身切崩をやめると約束さえした。しかし飯塚はかゝる約束をなしたその日からそれを無視してこそこその個別訪問をして第一組合切崩に狂奔し同年二月二十五日には第二組合及びそれと密接な連絡をもつ会社の指揮の下に第二組合佐野支部が結成されたのである。この第二組合佐野支部結成の様子自体も第二組合の御用組合的性格を暴露している。即ち飯塚は当日宇都宮の第二組合の執行委員に対し夕方組合結成について相談するため電話したところその一執行委員は今晩結成せよと命令した。その旨脱落者四、五人に話をしたら夜八時頃には全員集合しその結成式には宇都宮の第二組合員が六、七十人二台の会社のバスでやつて来て護衛した。そして対立候補もいないのにわざわざ投票して飯塚が支部長となつたというのである。一介の執行委員が自主的に結成さるべき組合結成を即時命令すること、夕方命令を受けたのにその日の中に組合結成大会が催されたこと、第一組合員は労働者のための組合であるのに第二組合員は暴力団の如きものゝ護衛が必要であつたこと、対立候補もないのに投票したことなど皆その性格の一端を示している。かかる第二組合の悪辣かつ違法なる挑戦に対し第一組合員は自已の権利擁護のため連日その対策に疲労困憊しこのまゝでは何時バス運転中事故が発生するか分らない危険状態であつたのである。この状態を原判決は全く節穴同様確証はないと驚き入つた判断をしている。されば第一組合員及び山田代議士は労働者の団結権を守るため立上つたのは当然であり又それは組合員がその職務に於てあづかつている多数の乗客の生命身体を守るための斗いでもあつた。そして問題は今即時解決されなければならなかつたのである。又かかる深夜の交渉をしなければならないようにしむけたのは会社側及び番犬たる飯塚ではなかつたか。されば時間的に疑問があるのは以上の事情ではやむを得ないし又被告人等は飯塚の申入があつたと聞いたから出かけたのであることは前述した。又人数が偶然多数であつたのも丁度家族会議を開催していた時右の申入があつたことを聞いたことによる。被告人等が多数で相手が一人であつたことは思わぬことであり飯塚はそこで自分一人で脚本を作成出来たのである。言葉上の行過ぎについては前述した。然らば本件に於て裁判官は何をもつて暴力というのであろうか全くその判断の一方的であるのには驚くものであり、かかる点より原判決は破棄を免れ得ない。又正当防衛の主張に対しては、本件各証拠によつても被告人等の判示所為が正当防衛であるとか、飯塚宇一の挑発行為があつたものとは到底認め得ない。」と判示した。しかし挑発行為があつたら正当防衛になるものではなく挑発行為は正当防衛の原因である。しかし原判示は挑発行為があると正当防衛になるかの如き判断しているのはその杜撰な法律解釈にあきれるのであるがかかる判示で刑事訴訟法第三三五条第二項の判断とは実質的には云えないのであるがそもそも正当防衛行為は現状に対する積極的反撃たると不退去に対する消極的反撃たるとを問わないのであり如何な手段でも許されるのであり防衛しようとする法益が侵害される法益より大なることを要件とするわけではない。又逃避の道が他に存在しないことを要するものでもない。法は怯懦を要求するものではないからである。原判決は飯塚の身体の法益のみに注目して被告人等の団結権を不当に軽視している。被告人等の団結権も亦保護さるべき権利である。それを防衛するのがどうして正当防衛とはならないのであろうか。かかる点より原判示は事実誤認及び法令適用の誤りがある。又期待可能性の不存在についても実質的判断は何もなしていないし前記の事情を考慮すれば弁護人の主張を排斥した原判決は明らかに違法で破棄を免れ得ないものである。

(ロ) 故意の不存在 原判示は「茲に被告人等は同所に参集した金子恵七等第一組合員並びに前記米山等以上合計十数名とともに飯塚に対し所期の確言をうるまではあくまでこれを追求し、多数の威力を示していわゆる吊し上げを行いその結果同人を長時間屋外に抑留し又は同人の出方如何によつては暴行又は脅迫を加えることもありうることを各自認識し相互にこれを利用する意思を相通じて共謀の上」と認定した。これは全く驚き入つた認定である。被告人等は皆善良なる市民であり労働者である。いわんや国民の良識を代表する山田代議土に於てである。それらがどうしてかかる暴行脅迫の共謀するであろうか。被告人等は前述のごとくあくまで飯塚との話合いの意思しか有せず又その目的しかない。それ以上の暴行脅迫をする意思がないことは前述で充分判明しているはずである。原判示は共謀共同正犯理論によつたものと思はれるのであるが、この理論では、「共犯者が共同意思の下に一心同体となつて互に他の共犯者の行為を利用して自己の意思を実行に移すことである」と解かれる(最判二三・一・一五・集二・四、大判昭一一・五・二八・集一五・七三三)そして共謀とは本来具体的な犯罪の実行について謀議することを指すものと解すべきである。たとえば実行の具体的方法を劃策し実行行為の分担を定める等(大判昭一二・四・三〇・集一六・五八九、大判大一一・四・一八・集一・二三二)である、しかし本件に於ては被告人等の自己の意思はあくまでも飯塚との話合いでありそれ以上のものでなく、又具体的犯罪の実行についても謀議もしない。いわんや話合いの初期から善良なる市民が暴行脅迫をなすことを各自認識するなどとんでもない認定である。されば原判決は事実を誤認した結果判決に影響を及ぼす法令の適用の誤りがあると云わなければならない。

第三結論

以上の如く原判決は異常なまでの労働組合軽視或は敵視に外ならない。原判決はすべての点に於て法令の適用を誤り、且つ事実誤認がある。よつて速に原判決を破棄し被告人等に無罪の判決を求める次第である。

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